ふじもりさんを発ったら

奈良井宿は筆者が毎年訪れる定番の街並みである。

この古の宿場町に実際に泊まるという体験を、

<静寂とは何か?>という小馬鹿にしそうな迷題?にきっと感じるものがあると思ふ。

『この静寂こそが一番の贅沢である』というオコトバに

奈良井宿に着いたのは

まだまだ観光客がそぞろ歩いており、妻籠や馬篭のような”わざとらしい”雰囲気がないことが良い。
勿論当該地でも実生活されている人々がいてはんねんけど、”生活感”という面においてはこちらが優。
ここ数年の定宿である民宿「かとう」。

しくじり経験から夕食の前に入浴を済ませるには

とにかく狭小風呂が2か所あるだけで、洗い場と浴槽で1.5畳もない。
客が多ければそれだけ入浴機会は失われ、湯は汚れ、大家族の最終風呂のような汚損度に達する。
入浴自体は一番風呂で無問題やってんけど、細腕繁盛記が命の次に大切な「TV」が映らない(超嘆)
<受信レベルが低下しております>という画面表示をいぶかしみ、受信状況プロパティを開いたら
レベルは0%、低下やなくて、『オマエは既に死んでいる』状態が明らかになり、TV命の人にとっては
「静寂だけ」

本日の宿泊客は

17時の夕食は8畳間のちゃぶ台に隙間なく座って食べるルールとなっている。
ここで初めて一宿一飯の付き合いが始まっていく。若年層には苦痛以外の何物でもない状況だ。
古時計が刻む秒針の音と人が食べ物を咀嚼する音”だけ”が聞こえる神経戦(笑)
”お通夜のような”という表現はまさにこの瞬間を言うのだと思うほどに、隣席の人の食道の動きすら音で
類推できるような

っとまぁ誰かが先鞭をつければ感じていることはみな同じで、あとはそれぞれが世間的な会話をして
そっけない夕食は幕を下ろし、一宿一飯の連中は翌朝まで一度も会うことなく夜を過ごすことになった。
ちなみに食事処から我々の部屋までおおよそ35m以上起伏のある屋敷を歩かねばならない。


でも筆者的には(タケス2号的にも)この静寂な奈良井の街並みをそぞろ歩くのが、

18時に宿を出ると、


闇の深度も木曽路ゆえ深く、

妻籠も19時には墨塗り教科書状態の闇に包まれるが、

三脚を忘れたこともあって、



そんなそぞろ歩きの途中の酒屋の自販機(ここしかない!22時販売終了)でハイボールを買い、
飲みながら歩き、




奈良井の昼と夜、


それぞれに表情があり、


TVはないけど、

飲みながら、時折通り過ぎる電車の音とその後の静寂を感じつつ、合計3回も自販機に舞い戻り(笑)

温泉もエエねんけど、
