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マイケルシェンカーフェストのついでに自分史を巡る。①

マイケルシェンカーが歴代ヴォーカリストを携えてLiveをやるのは
去年もそうやってんけど、いつまで生のフライングVの音色を聴くことができるのか?
甚だ心配なので、当然貴重な機会は必ず参戦する、と。
まだまだあっつい大阪・Zeppなんばへs-IMG_5319.jpg行きますねん・・・。

ライブは夕方からなので、盆休がなかった分、この翌日までの2日間を休むことにした。
夏休みとはいえ平日の新幹線(こだま)の先頭車両は筆者以外には数名の着席と、
s-IMG_0938.jpg非常に読書にふさわしい?環境が整っていた。
明日、奈良でZ1000R2に乗る不動産屋さんへの手土産として、
登美ヶ丘文庫の「ローレプの全て」(前後編)を差し上げることにしたのでs-IMG_0939.jpg
先に自分が読み返す。

この頃のBIKERS STATIONはかなりオタクというか、s-IMG_0941.jpg
マニアック自己満的な誌面展開をしており、s-IMG_0943.jpg
“まぁ確かに好きな人には堪らんけど、ここまで知らんでもエエやん”的な読者層の拡大により、
s-IMG_0940_2018091408021972e.jpgこんにちのM&Aのような事業展開もやむなし、s-IMG_0945_20180914080225913.jpg
と筆者は思っている。
s-IMG_0944.jpgKERKERメガホンの大口径などを見ると、
おおらかだったあの時代を享受できただけ良かったかなと思ったりする。

重たい本を袋に入れなおしたら新大阪に着いた。
ドアが開くや否やカラダにまとわりついてくるs-IMG_5284.jpg高温多湿な空気。
これまた速足で昨年同様のs-IMG_5304.jpg「浪花そば」へ向かう。
新大阪そば(肉入り)s-IMG_5303.jpg静岡では食べられへんで。
在来線に乗り換えて大阪(梅田)からs-IMG_5307.jpg阪急に乗る。

そう、今日は自分の青春時代を振り返ってからLiveに臨む企画としたのだった。
阪急千里線に乗るのはかなり久しぶりで、s-IMG_0950.jpgホームが大きくアールを描いているs-IMG_0951.jpg大学の駅に着くと、
少なくとも33年前から存在している居酒屋がs-IMG_0952.jpg健在だという事実に驚いた。
改札から地上へ出るとs-IMG_0953.jpg狭い、いかにも学生街!というようながさつな通りが待っている筈だった。
しかし、そこには社会学部方面へ濡れずに行ける設備が築造されていてs-IMG_5309_201809140809302a8.jpg
暫し呆然とs-IMG_0955.jpg立ちつくしてしまった。s-IMG_0956.jpg
学生さんはまだ夏休みで少ないことで、s-IMG_0954.jpgオッサンの恥かきは極小で済んだのである。

両側の店舗の様相はガラリと変わったs-IMG_0958.jpg正門前までの通り。
当時のままの家屋も残っているが、あれだけあったゲームセンターはなくなり、
恐らく濃い味であろう、s-IMG_0964.jpgラーメン店が林立していた。
1985年当時、ゲームセンターには「ハング・オン」が置いてあり、店先には原チャリが自転車のように並んでいたし、
レンタルビデオやレコード店、コピー屋も多かったと思ったが、
今それらは便利なツールによって店へ行く必要がなくなったワケである。
そして深夜に叩き起こされてさつま白波を3杯イッキに飲まされ、酔った4回生が好きずきに
食べたい物を言って10分で買って来いと行かされまくった外食店舗は全て消滅。

@正門。s-IMG_0963.jpg
通称「立て看」などは皆無となり、s-IMG_0968.jpg学生運動系の気配は0%である。
年間2万人もの同窓生が輩出され、筆者を除く彼らの「寄付金」でこれらの立派な構造物が存在していると思うと、
自分は寄付金出さんでエエわと逆s-IMG_0956.jpg側に意を固めてしまうのだった。

筆者が入学した当時は開校100周年記念事業で、s-IMG_0969.jpgこの総合図書館が竣工した。
この建物意匠がこんにちの新しい学舎のデフォルトになっているように感じる。
s-IMG_0966.jpg文学部はこの桜並木の小坂を上った先にある。s-IMG_0967.jpg

春先にこの坂を上るとs-IMG_0970.jpg円形の旧図書館が見え、s-IMG_0971.jpg
第一学舎が姿を現す・・・・のはs-IMG_0972.jpg今や歴史上の出来事という扱いになっていた。
33年も前とは、s-IMG_0976.jpg”もうそういう年月なのだ”と再認識。s-IMG_0982.jpg
入学して早々にみんなとの圧倒的な英語力の差を痛感したs-IMG_0985.jpg「LL教室」は現存していた。
スティービ・ワンダーの「パートタイム・ラヴァー」を一度聴いただけで
ほぼ全員が真っ白な用紙に歌詞を英語で書き出し正解する中、
3度聞いてもサビの部分しかわからなかった筆者は、高鉄棒に何回かジャンプしてようやく手が届いただけであり、
そこから何回も懸垂ができる周囲の面々と同じクラスということに早々に気が付いた時はショックだった。

それ以外の学舎は全て一新され、s-IMG_0974_20180914080809d1d.jpg今となっては「文学部英文学科」という名称の学部はない。
小洒落たカフェのような学食もあり、s-IMG_0986.jpg「今」学生だったとしても奨学金を借りてバイトしないと
学費が払えなかった状況は同じだろうし、s-IMG_0984.jpgきっと“浮いた存在”だろうなぁと思ったりして日陰で休む。
学歌・応援歌・逍遥歌が今でも口ずさめるのも、バンカラな学生寮でしごかれたからであり、
s-IMG_0983.jpg今となっては良い思い出である。s-IMG_0977.jpg


緑が多く、s-IMG_0973_20180914080807ddb.jpg広大な敷地に様々な学部が存在し、
故に色んな学生と出会い、過ごすことができた。
後半は単車に明け暮れていたので親交は減ったものの、いざという時の「関大魂」は
誰が、とかではなく卒業生なら身に染みているスピリットぢゃないかな?
今でもこうやって再訪し、時間経過をわざわざ感じに伺うのだから、
筆者の大学時代は人生の分岐点そのもの。
つまらん静岡なんかにようやくオサラバできた、二度と帰ることはないと固く信じていただけに、
その後のショックは大きかった・・・。

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